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作者と定型の融和について(角川『短歌』21年4月号「時代はいま」より)

作者と定型の融和について                    堂園昌彦    最近、吉本隆明の『写生の物語』(二〇〇〇年、講談社)を読んでいる。この本の中で吉本は、   夜 ( よる ) の雨あした凍りてこの岡に立てる冬木をしろがねとしぬ (『鏡葉』) などの窪田空穂の歌を挙げながら次のように述べる。  その特徴をいってみれば、音韻の刻み具合がなだらかで、おなじ間隔で小さく、上波形と下波形がおなじリズムで上下している。そのため温和な、静かな印象をあたえる。もう少しいえばとてもいい作品だが、最後には窪田空穂の謎にぶつかる。 この「謎」とは、空穂の作品が取り上げるモチーフの必然性がわからないことだという。つまり、なぜこのような詩的でも特異でもないモチーフを詠むのかうまく飲み込めないということだ。吉本は 「こんなふうに日常生活の合間にぶつかる光景を、淡々と抑揚の誇張をつけずに唱うことが、短歌の形態感覚にとって本来となりうるだろうか」 といっている。 モチーフの選択よりも空穂の作品が 「光景の写生のようにみえて、ほんとは光景の描写のなかに光景をみているものの眼や主観が入りこんでいて、それも光景の内包として勘定に入れられている」 ことや、 「光景や事柄のうしろにもうひとり影の人物(作者自身)がいて、作歌している作者とどれだけ和解しているか計りしれない。その和解の風姿があたえる温和さ、心持よさ」 を持つことのほうが、より本質的な特徴ではないかと指摘している。たしかにこの論は、空穂の短歌が何の変哲もない風景を詠んでいても光り輝くような有り難さをまとっていることの理由を、うまく言い当てているように感じられる。 次に吉本は斎藤茂吉の 彼岸 ( かのきし ) に何をもとむるよひ闇の最上川のうへ の ひとつ蛍は (『白き山』) などを取り上げ、茂吉の歌は空穂に比べて抑揚のリズム構成が不規則であり、その不規則さは茂吉にとって 「じぶんに固有な生命力の形を立ち上らせる過程を意味している」 と捉える。そして、 「短歌作品を抑揚と音韻との固有の遣い方として読むことの方が、歌人の個性的な感受性や表現方法の違いとして評価するよりも妥当ではないのか」 と結論づける。 翻って、穂村弘は『短歌の友人』(二〇〇七年、河出書房新社)で次のようなことを書いている

佐藤佐太郎小論(「pool」vol.6掲載)

佐太郎は立ち止まらない                 堂園昌彦  佐藤佐太郎は立ち止まらない。佐太郎はどんどん歩く。歩くのは近所の道である。歩いていても珍しいものは見つからない。芥とか小豆、大角豆だ。たいしたものはない。知人にも出会わない。それでも佐太郎は歩く。  佐太郎がこれほど歩くのはなぜか。もちろん、それは佐太郎の歌と関係がある。佐太郎の歌の特異なところは、歌の中で心の流れを流れのままに提示できる点である。  例えば有名な 苦しみて生きつつをれば枇杷(びわ)の花終わりて冬の後半となる という歌の中での主体の感情は、具体的にひとつのところに固定されない。歌全体のトーンは明確だが、「苦しみて生きつつ」や「冬の後半となる」の細部は鮮明ではない。しかし、その分、歌の始まりから終わりまでずっと主体の感情が動いている印象を受ける。それは、例えば師である茂吉の 沈黙(ちんもく)の我に見よとぞ百房(ひゃくふさ)黒き葡萄に雨ふりそそぐ のような、感情の流れがある事物(葡萄)にせき止められ、肥大して見えるのとは全く異なる働きである。  これはとても珍しいことだ。歌の中では、日々きざす感情は見たもの体験したことによってせき止められ、泉が湧き出るように認識されることが多い。歌人はものの前に立ち止まり、泉を湧き出させる。それに対して佐太郎は湧き出す以前の常に流れている感情を捉える。だから芥や小豆、大角豆をちらっとは見ても、決して立ち止まることはない。これはいつも佐太郎が対象よりも自らの心の動きのほうに夢中になっているためである。佐太郎が立ち止まらないのは、佐太郎の心が動いているからなのだ。そう考えると、佐太郎の近所の散歩も、ずいぶんとスリリングなものに私には思えてくる。 このゆふべ巷(ちまた)あるけば片寄りに芥(あくた)たまりぬ冱(さへ)かへりつつ をりをりの吾が幸(さいはひ)よかなしみをともに交へて來りけらずや 店頭に小豆(あづき)大角豆(ささげ)など並べあり光が差せばみな美しく (初出:2008年11月『pool』vol.6 「『新風十人』を読む」)

平岡直子小論(『井泉』95号掲載)

「地名をどのようにうたうか――私がいま気になる表現」 堂園昌彦  短歌では地名が詠まれることがしばしばある。代表的なものでは、  かにかくに渋民村(しぶたみむら)は恋しかり  おもひでの山  おもひでの川         石川啄木『一握の砂』 をはじめとして故郷に対する愛着を表したり、   吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は  土屋文明『山谷集』 のように激しく移り変わっていく土地の姿に言及したりする。いずれも、作者のその土地への思いが直接的に表現されている。また、時代が下ると、  行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ  山中智恵子『みずかありなむ』   螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり  小中英之『翼鏡』 などのように地名がある種の象徴性を持つことも多い。「鳥髪」も「蛍田」も単なる土地の名前であるという以上に、その名称の持つイメージが歌全体の性質を決定づけている。  しかし、最近詠まれた次の歌はこうした地名の歌とは少し違う感触を持っている。 ゆっくりと乾いた舌を引っこめる箱根がおいでお湯こぼさずに  平岡直子「法律」(ネットプリント『ウマとヒマワリ5』/2019年3月)  この歌では「箱根」が単なる地名であることを辞め、人間であるかのように詠まれている。「乾いた舌」を持つ潤いのない〈私〉を癒す場所である「箱根」に対し、むしろそちらから来て欲しいとまるで恋人に言うかのように呼びかけている。「箱根」という土地自身が擬人化され、お湯を持って主体の方にやってくる様が幻視される。また、「箱根」に呼びかける主体の存在の大きさというか、土地に命令できるこいつはなんなんだという不思議な感覚が興味深い。平岡は地理に対する独特の感性があり、他の作品にも 冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか  「東西も南北もない地図」『短歌』二〇一一年四月号) 東京の頬にちいさくしゃがみこむただ一滴の目薬になる  「ありとあら夜ること」(『率』六号) 福井ってあそこでちぎれそうだけどわたしが見たい光る生きもの  「紙吹雪」(『短歌研究』二〇二〇年一月号)) などがある。これらの歌に共通しているのは、地名という概念を手で触れるものに変質させていることで、みずうみが心臓である「県」も、頬をもつ「東京」も、ち

仲田有里『マヨネーズ』論(『井泉』76号掲載)

 むき出しの「私」からサバイバルへ                            堂園昌彦  先日、二〇一七年三月に、仲田有里の第一歌集『マヨネーズ』が出版された。二〇〇六年の第五回歌葉新人賞次席作品を含むこの歌集は、私には二〇〇〇年代の若者の口語短歌のひとつの極点を示しているように思われる。  本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある 友達が帰って行った夜の外流しに貝を集めて捨てる  一首目、借りた本を返しに行く道に、植木や壊しかけのビルがあった。それだけの歌だが、なぜかこの「植木」や「壊しかけのビル」に見過ごすことのできない存在感を感じる。二首目、自宅で友人と貝料理を食べた後だろうか。少し寂しそうに片づけをする光景をイメージすると、この「貝」に妙に引っかかる。通常の短歌ならばあるであろう象徴的意味がこの「植木」や「ビル」にはないし、「貝」も同様に主体の不如意を表す道具にはなっていない。だからこそ読者は予定調和ではない語に驚き、何か不可解なものを受け取ったかのように、歌はざらつきを残す。仲田の歌の特異なところは、歌を俯瞰して意味づけをするメタレベルが一切ないということである。逆に言えば、その分生々しい「私」が歌の中に生きている。  メタレベルを介在させずに「私」を描くのは、実は子規の方法論に近い。「和歌の俳句化」を目指した子規(大辻隆弘『アララギの脊梁』)は、歌の言葉の中から主観的な用語を省き、客観的な事物のみを描いた。子規の写生論とアララギの写生論は違う。原理的な子規の写生論へ俯瞰的な情報をいかに入れていくか。弟子たちが試行錯誤をしたのが、後のアララギの写生論である。  二〇〇七年に書かれた優れた口語短歌論である「生きるは人生と違う」(『短歌ヴァーサス』第十一号)の中で、斉藤斎藤は仲田の歌に触れ、こう述べている。  中田(注:現・仲田)のわたしは、今橋(注:愛)のわたしよりもさらに、今ここの〈私〉の視点を徹底している。(略)「水」や「歯磨き粉」に、「私」の心情は全く投影されていない。水は水であり、歯磨き粉は歯磨き粉でしかない、しかないものを見たまんま描く〈私〉のそのまんま加減に、敬虔な迫力を感じる。一首のなかに、中田のわたしは生きている。中田の歌に人生はない。すっぱだかの生きるしかない。   少し補足すると、文中の「私」とは「外から見た客

永井祐小論(『つばさ』第13号掲載)

ぶ厚い素直さ            堂園昌彦  「短歌往来」二〇一五年一月号の特集「次代を担う歌人のうた」の「自選メモ」で永井さんはこう書いている。「短歌をつくるのはとてもすばらしく素敵なことだ。」本音だろうな、と思う。永井さんとはもう十年くらい一緒に歌会をしているが、永井さんの歌は歌会で読むときも、誌面で読むときも、神経が通っていない部分がほとんどない。最近の歌は特にそうだ。いいな、と思うこともあるし、この歌はそれほどだな、と思うこともあるが、それはそれとして、ひとつひとつの歌が恐ろしく丁寧で、作り手の愛着をものすごく感じる。そして、なんというか、他のひとの歌に比べて、含みこんでいる空気の量が違う。 真夜中はゆっくりあるく人たちの後ろから行く広い道の上  この歌も初め歌会で読んだのだが、大ぶりな言葉遣いにも関わらず、伝達される情報の細やかさに驚いた。飲み会の後などで、何人かで駅に向かってゆっくり歩き、思考を他人に預けているときのリラックスした気分と、五月くらいの熱くも寒くもない夜の空気が鮮明に感じられる。これはとても驚くべきことで、普通、短歌は思想や感情といった、もう少し固定化され、象徴化されたものを表現しようとする。というより、してしまう。しかし、永井さんの歌はいつもその一歩手前というか、現実が象徴化や物語化を経ることでシンプルなものになってしまう、そのぎりぎり寸前を手渡そうとする。 ディベートは弱いんですと言うことでわたしは何かアピールしてる  「何か」って何だよ、ととっさに思ってしまうが、やはりここは「何か」としか言いようがない。これを具体的なものに言い換えてしまうと、そこに生まれていたコミュニケーションの綾が消え去ってしまう。社会が要求している「つまり」の逆、要約では表現できない「何か」を永井さんはいつも言おうとしている。 馬の背中が息をしている夜の道スポーツドリンク持って立ってた  この歌も、馬の存在感のみを詠おうとしているのではない。スポーツドリンクも、スポーツドリンクを持っている私も、夜の道も大事だ。観察される馬と観察する〈私〉の照応関係だけではなく、そうしたものをすべて含んだ夜の空気それ自体、その豊かさを言っていると思う。  では、空気と言うが、それはいったい何なのか。永井さんはそれを表現することで何をしようとしているのか。答えるのはとても難しい。